ブログ 北山杉の里だより

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北山杉の里 見どころ

Woody woody woody! (2)

2012.7.3  北山杉の里 見どころ 

Woody woody Part2. 今回は写真もたっぷりとお届けします。

北山杉を使った木工品を製作している人はたくさんいますが、それぞれお店に置いたり、イベントに出店したり、注文を受けてから作ったりと、販促方法もいろいろです。

そして勿論、自分のお店で使うためという場合もあります。

 

前回、お楽しみにとっておいたログハウス、一体何をしている建物でしょう…? 

 

信号もない一本道。入口にある「営業中」を見れば、「おっ!こんなところにお店が」と思うはずです。

メニューをじ~っと覗き込んでみて! ここは知る人ぞ知る、ハンバーグが美味しいお店。

 

なだらかな坂を上って行くと、見えてきました見えました! 

 

一見、梅のようですが、まだ青い桃の実。花の時期はとても美しかったと思います。 

 

落ちている桃の実を拾いながら入口へのアプローチを進みます。 

 

ウッドデッキへと続く階段。 

 

デッキへ上がると広がる空間!ハンモックが静かにお客様を待っていました。そしてテラスが見渡せます。 

 

無垢板のテーブルがここの雰囲気にピッタリ!先ほど拾ってきた桃の実をコーディネイトしてみました^^ 

 

レトロな感じの外灯の下、扉をくぐります。「わぁ~!」

 

何気ないディスプレイも自然の素材を用いてアレンジ。木の色ばかりの中で、紅い実がアクセントになっています。

 

ロフトへと続く階段。年数を帯びていい色艶になっています。 

 

明かり取りのある天井から光が射し込み、十分な明るさ。屋根へと延びるパイプのようなものは…? 

 

 

懐かしいだるまストーブ!昔、学校でみかんを乗せたりしていましたっけ(歳がバレちゃいますかww)

 

観音開きの窓を開けるとス~っと風が吹き抜けていきます。この感じは・・・「気持ちイイ~!」

 

「いらっしゃいませ~ボクが案内するワン!」

と出迎えてくれたのはオーナーの娘さんとラブラドールのヴィックス君。

 

丸太は見なれていると言うものの、美辞麗句では表現できない、自然のままの存在に、ある意味圧倒されました。

 

厨房もオープンな感じで、この時間はまかないtime。でも、ランチタイムとか中間休みはないので、ふらっと訪れても美味しいハンバーグを食べることができますよ。他にもメニューはありますし、手作りデザートも。。

 

そんな美味しいメニューやデザートが盛られる器は・・・

そう、前回ご紹介した窯で焼かれている陶器なのです。一つひとつ、丁寧に焼かれた器と心のこもったお料理のおもてなし。

こんな気持ちの良いところでは待ち時間も気になりません。厨房からイイ香りがしてくると、お腹はぐ~っと鳴るかも知れませんけど?

次回はテラスへ出てみましょう。お楽しみに!

  

 

Woody woody woody! (1)

2012.7.2  北山杉の里 見どころ 

週末の間に7月に入りました。今年の折り返し地点。植物も動物も巡る季節と共に成長しています。

まだ半年、もう半年。一日一日を大事に生きて行くには、あまりにも時の流れが速いような気がします。

そんな毎日の中で、ちょっぴりスローライフを感じられるような場所を3回に分けてご紹介したいと思います。

 

国道162号線を折れて杉阪方面を真っ直ぐに行くと京見峠。

峠を越えると北大路などへは近道なので、利用する方も多いですが道は細く離合の際は要注意です。

中ほどに見えて来るのがH林業。遠くにログハウスが見えますが、こちらは次回のお楽しみ♪

 

アプローチのような道を奥まで行くと、こんな手作りの目印がありました。木工→陶芸→?

 

そう、H林業では北山杉の他に木工製作、そして陶芸もしておられます。それでは工房の内部を見せていただきましょう。

 

ところ狭しと並んだ木工品たち。機関車や飛行機など、車輪の部分に美しい年輪の見えるタルキが使われています。素朴で温かみのあるものばかりです。

 

アルファベットの列車も面白いですね♪

 

ペットボトルを胴体にした飛行機がモビールのように空間を漂っています。立てたら花瓶にもなります。

こちらは小学生の図工の木工体験になるそうで、今からたくさんキットを用意しなければならないとか。

 

現在、製作中のミニチュア・・・? 「これも木工品ですか?」

「No!」

 

増築するテラスのミニチュアモデルを製作しているところなんです。

お施主さんの希望に添って建築家が設計図を作成するのですが、図面だと頭の中で想像してしまうので、実際にはズレが生じることがあるかも知れません。

 

細部まで忠実に再現したミニチュアモデルにすると、目を通してリアルに感じられるし、施工する側も説明しやすいですよね。建築家の安藤氏をはじめ、最近はこのような手法をとることが多くなってきたようです。

 

家を建てる、増やすということはそこに住む人にとって大きな出費であり大きな出来事です。

居心地のいい、お気に入りの場所を創るためのさまざまな過程の一つがここにもありました。

実際のテラスが出来上がったら、このミニチュアはどうするのかしら…聞くのを忘れたのですけど、私だったら大切に飾っておきたいなぁと思うのですが。。

 

工房のお隣には何やら不思議な機械が。 

 

このコ達が待っているのですね。そう、窯です。

先ほどのミニチュアモデルを製作しておられたAさんは陶芸もされますし指導もしています。

こねて、形を整えて、乾燥させて…窯に入れるところまで作る人にやってもらいます。そして、窯から出すのも…作った人です。

「創った人が創ったんやと実感できるように。」Aさんはこっそり仕上がりを見たり面倒を見ながら、創った人が窯から自分の作品を取り出す時のわくわくと笑顔を想像します。

陶芸を知り尽くしている人だからこそ解る、楽しみや喜びを感じてもらおうというAさんの愛情です。

 

にゃんこも作業を観察中。チェーンソーに気を付けてね!

 

工房を少し降りてくると白い波板に覆われた背の高い建物が見えてきました。

 

ここはH林業の大切な大切な北山丸太の乾燥室です。お邪魔しま~す! 

 

 

 

つやつやと輝く磨丸太や絞り丸太が温度・湿度管理されています。今のような梅雨の時期は扇風機で風を通して、通気性をより良くしています。 

 

いかがでしたでしょうか?

そこに木があるから、土があるから、考えてそして創る。けれど妥協ではなく、モノを大切に、使う人が心温まる作品がここで生まれています。

童話に出てくるような綴れ折りの道の下では、まだまだ素敵な時間が私たちを待っていてくれたのでした。

次回をお楽しみに! 

 

 

紅葉・もみじ・MOMIJI

2011.12.1  北山杉の里 見どころ 

美しい紅葉を見逃したあなたに贈る風景。

言葉は何もいらない…ただ表情を変えながら見る者を魅了する、ひとつひとつの小さな命の前に。

 

 

 

 

 

 

誰もが、その完全なる造形美に圧倒される。

 

 

 

 

 

 

室内から望む風景。夕暮れがせまる。 

 

 見つめ合う、紅葉と美しく枝打ちされた北山杉。

 

 まもなく沈まんとする陽の光を惜しむかのように浴びながら金色に輝く葉。

 

 

そして一日が終わり夜の帳が降りてくる。

人びとが明日を迎えるとき、中川の木々たちもまた、新しいその顔をみせてくれるだろう。

 

撮影:2011日11月21日・京都市北区中川

 

 

 

 

未だ学ばざるを学び、聞かざるを聞く。

2011.11.30  北山杉の里 見どころ 

もうすぐ11月も終わり。緑から黄色、紅へと錦織りなす紅葉と北山杉のコントラストが見事です。

強い雨風がなければ、まだまだ楽しめそう。そして今度は散った葉も紅い絨毯となって去りゆく秋の趣があることでしょう。

そんな秋の日、中川の「弘法さん」を訪れました。

 

11月21日の午後。路地を抜け、山手に向かって歩いて行くと山茶花がピンクの可愛らしい花をたくさんつけています。 

北山杉を背に満開の山茶花のもと、紅葉やたくさんの植物に囲まれてひっそりと佇む弘法大師。辺りを掃除し、清めている女性の姿が見えます。

 

21日と言えば空海の命日。東寺で毎月行われる「弘法さん」の市は北野天満宮の「天神さん」と並びよく知られていますね。ここ中川でも毎月21日におばあちゃん達が集まります。

 

弘法大師の横にある建物、境内も方丈もない…けれどこれがお寺です。えぇ~?!中川にもう一つお寺があるの? 

中に入ると「西福寺」と書かれた表札?が土間に置いてありました。

西福寺(さいふくじ)…弘法さんがいらっしゃるから恐らくは真言宗のお寺でしょう。

 

お座敷に上がると、5人の女性達たちがお座布団を用意したりお湯を沸かしたり…そうこうしている内にアタフタとやって来られたのは宗蓮寺のご住職!あれれ~? どういうコト…?

 

かつては山中にあったであろう西福寺。誰かがご本尊さまをお連れして弘法さんと一緒にお祀りしたのでしょうけれど、現在は無人。定期的に中川のおばあちゃん達がお掃除したり弘法さんのお身拭いをしたりしているのだそうです。

そして毎月21日にはみんなで集まり、お燈明に灯が入り、蝋燭や線香に火をつけて宗蓮寺のご住職がお経を唱えてくださるのです。 それは般若心経。

 

おばあちゃんの一人がお経本を貸してくれました。「はんにゃ~は~ら~み~た~…」

 

真言密教の開祖、空海。室戸岬の御厨人窟(みくろど)で修行している間、海岸線が今より上にあり洞窟の中で目にしていたものは空と海だけだったため、空海と名乗ったという説があります。

時は平安時代の初め。密教を学ぶため唐へ20年の留学予定が2年で戻った空海は、「早すぎるじゃないか!」と帰国の許可が出るまで大宰府にて待機を課せられました。

嵯峨天皇の即位と共にようやく入洛した場所が槇尾山寺(まきのおさんじ)。ここで出家したとも言われています。

その後、高雄山寺(現在の神護寺)に入ったように空海はこの地域と深い縁があるので、中川に弘法さんゆかりのお寺があっても不思議ではありません。

 

今の時代になって新しく建てられたであろうこのお寺には弘法さんとかつてのご本尊が並べて祀られています。

お寺を守る者がいない今もその存在を大切にし、誰が誰を誘うというのでもなく、義務づけるのでもなく、代々おばあちゃんになるとここを訪れて引き継がれてきたこと。

けれども今では5人と寂しくなってしまいました。

宗派を超えてお経を唱えて下さる宗蓮寺のご住職はそんな信心深いおばあちゃん達の心の拠りどころであり支えのように見えました。

 

空海は決して20年の留学をサボって早く帰ったのではなく、わずか2年で習得したのかと思えるほど、唐より持ち帰った経典や文献、密教法具などは膨大な数にのぼります。

そして「請来目録」に記された「未だ学ばざるを学び、聞かざるを聞く」

この言葉に新しい世界に身を置き大きく見聞を広げ、吸収しようとした姿が伺えます。密教の導入だけでなく、最新の文化体系を日本の世に広げようとしたのです。

 

弘法さんとご本尊のちょうど真ん中には掛け軸の箱が据えられています。きっとお寺に由来する大切なものなのでしょう。

お経が終わるとそれぞれ頭の上にハンカチを広げ、ご住職がこれでそっと肩に触れてくれます。

なんか儀式みたいですけど、「これは無病息災を祈願していただいてるのかも」とか「弘法さんみたいに賢くなりますように」とかを思いながら、私たちも有難くしていただきました。

 

そしてお忙しいご住職はまたしてもアタフタと帰って行かれましたが、この後みんなでお茶を飲みながら誰それさんとこの誰々がどうしたとか、井戸端会議なお楽しみの時間を少々。

鍵をかけて帰った後…人気のない西福寺では弘法さんとご本尊が「今日もおばあちゃんらは元気で何よりや」なんて会話をしてるかも知れません。

 

空海は病を得た後も命をかけて真言密教の礎えを築くべく、力を尽くし全てのことをやり終えて835年、62歳で入滅しました。そして921年に醍醐天皇から弘法大師の諡号を授かりました。

しかし真言宗では、空海は即身仏となり高野山奥の院の霊廟で現在も禅定を続けているとされています。

毎年命日の3月21日に衣服を新しくする際、泥がついており今も諸国行脚の旅を続けているとも。

 

真言密教の普及だけでなく、庶民にも教育の門戸を開いた学校・綜芸種智院の開設や農業用ため池の改修、温泉の発見など多方面にわたり活動し、自然界の動植物にも精通していた空海。

菩提の砂の秘密を教えてくれたあの旅の僧は、もしや即身仏の弘法大師だったのかも知れません。

 

「未だ学ばざるを学び、聞かざるを聞く」。

この教えは言わば生涯学習。どんな世界にいても自分の知らないことに耳を傾け、吸収する気持ちを失わずに生きていきたい。

毎月、西福寺での「弘法さん」で宗蓮寺のおっさんと般若心経を唱えてみたり、おばあちゃん達に佃煮の炊き方を教えてもらうのだって立派な「学び」だと思うのです。

だからこそ、ずっと繋げて行って欲しい。

21日にはあの坂道をのぼって弘法さんに会いに来ませんか?

 

余談ですが…ことわざで「弘法も筆の誤り」 偉い人でも失敗する、誰にでも間違いはありますよ、って感じで言いますよね…でも本来は違うみたいです。

書家・文人としても知られる空海さん。

 -空海は天皇からの勅命を得、大内裏応天門の額を書くことになったが、「応」の一番上の点を書き忘れてしまった。空海は掲げられた額を降ろさずに筆を投げつけて書き直したといわれている。-

ぺっと投げつけた筆が見事「応」の一番上の点になったとは~「書き直し方さえも常人とは違う」というほめ言葉の意味も含まれているそうです。

さすが空海さん、お見それしました~(笑)

 

神様のおくりもの・菩提の砂

2011.11.22  北山杉の里 見どころ 

午後5時を過ぎると北山杉の里にも暗闇が押し寄せてきます。道路に表示してある温度は7℃…! ハンドルを握る手も冷たくなってきました。

ずっと菩提の滝の写真を撮りたかったのですが、9月の台風で菩提道が一部陥落し、長い間通行止めになっていました。先日、一時解除されたというのを聞きさっそく行ってきました。

中川に入って宗蓮寺と反対側へ行く道が菩提道。周山街道が出来るまでは京都へ出るのにこちらが本街道で、この谷間の細い道を通っていました。

その昔、北山杉の里の女性たちは頭に袋輪(丸いドーナツのような形のもの)を乗せ、その上に北山丸太や柴を載せて、徒歩で鷹ケ峰へと一日に一回、多い時は二往復もしていました。

そしてその売上げで、帰りにはお味噌や塩などの日用品を買って帰っていったのでした。

逞しい中川の女性とは言え、長く重く辛い道のり。北山丸太を世に出し、生活の糧としたその脚。菩提道は「女の道」とも呼ばれていたそうです。

そんな女性たちを思いながら坂道を歩いて行きました。…(私たちは何とも楽チンに途中まで車ですけどf^^;)

 

 山から滴り落ちる水。しっとり湿った道路沿いに「菩提の滝 入口」の表示板があり、そこから下へ降りていけるようになっています。

 

 結構急な斜面ですが、ちゃんと柵があり綺麗に整えられています。

 

 菩提川の水際まで降りて振り返ると美しく枝打ちされた北山杉と空が。もうザザザという勢いのある水の音が聞こえてきます。

 

 じゃ~ん!! 菩提の滝が現れました。光線が差し込まないので全体的に暗い中、真っ白な糸を何本も何本も引いたように流れています。冷んやりした空気と水音だけが辺りを包み、しばし見つめてしまいました。

 

 滝口から射す外光とそこから見える北山杉が幻想的。

 滝つぼに向かって勢いよく流れ込む豊かな水。

 透き通った美しい水。北山杉の色を映してか、紺碧のグラデーションです。ここで丸太を磨く「菩提の砂」を採取する光景がよく見られたそうです。姉さんかぶりにたちかけ姿の女性たちがシャベルで洗い砂を掬っている姿を想像してみます。

 

 赤砂山(あかごやま)から流れ来る赤砂は指でつまんで擦っているといつの間にか溶けるように粉になり指先でなくなってしまう、そんな砂です。雨が上がって2~3日した時が赤砂山の土をよく流してくるのだと言われていました。

 

思いっきり滝浴?を満喫して、帰りは滝に近い階段から上がって来ました。

 

 上からも滝が流れ落ちる様を撮ってみました。

 

道路の反対側にはお不動さんたちがひっそりと見守っています。 

 菩提の砂は言わば北山丸太のお化粧品。このやわらかい砂だからこそ木肌に優しく、行き先の決まった丸太は女性たちが心をこめて、ピカピカのツルツルにお化粧をしてお嫁に出されたのです。

お不動さん、どうして菩提の砂が丸太を磨くのにいいというのが判ったの?

 

 「それはなぁ。昔、中河村(現在の中川)で諸国行脚の僧が行き倒れとなったんじゃ。気品もある高僧なので中河の人たちがそれは親切に介抱して助けてあげたそうじゃ。半年近くも病んだらしいが、すっかり良くなって再び旅発つ時、こんな事を言われた。」

  

「中河村はお米がないのに永い間よくも親切にお世話して下さった。おかげさまでこのように全快できて、ただただ感謝のほかはない。何かお礼をしたいがご存じのとおり今の拙僧には何のお礼もできない。だが、この土地には菩提の砂というどこの土地にもない全く珍しい良い砂がある。その砂を利用して、あの杉丸太を磨いて商ったら必ずこの土地が栄えるでしょう。」

 

「村人は僧に言われた通りに菩提の砂で丸太を磨くと驚くほど美しく輝いたので、それから中河は磨き丸太で栄えるようになったんじゃ。僧は中河村に来る途中、気分が悪くなり水を求めて京道川に下り、その時にこの砂を発見されたものであろう。諸国行脚をしていられるので、各地のいろいろな風土や産物についてもよく見聞しておられたんじゃろうな。ふっふっふ。これで解ったかな?」

  

 ・・・このお話が伝説なのか逸話なのか、でも素敵な伝説と思いたい。

「ほんに、ほんに。お坊さまの言われた通りや」と目を輝かせて丸太を磨く人たち。

長靴もない時代、冷たい水に足を浸して一心に砂を掬う女性たち。

「女の道」から山々を見渡せば、遠い昔のそんな光景が浮かんでくるのでした。

 

中川の人たちにとって、菩提の砂は自然の神さまからのおくりものだったに違いありません。

だからこそ、お不動さんをお祀りして有難く、大切に、その恵みを受けてきたのでしょう。

今なお、たゆたい水流るる菩提の滝。その底に静かに眠る赤砂。

変わってしまったのは文明や科学の発達した生活に慣れた人間の方ですが、決して感謝の気持ちは失われていません。

山職人さんはお正月にお不動さんにお参りすると言います。この厳しい時代にそれぞれの思いを込めて。

 

 

「どうかこの美しい水が途切れることなく、伝説の砂を運び続けてくれますように。これからもずっと中川と北山丸太を見守っていてください。」

滝に向かって手を合わせると、杉木立の間にふっと、旅の僧の姿が見えたような気がしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

岩戸落葉神社・源氏物語 落葉の宮に思いを馳せて

2011.11.14  北山杉の里 見どころ 

朝夕は上空に冷たい空気が流れ込み、山あいは真っ白なもやに包まれます。お昼頃にはようやく晴れ間が見え、やわらかい暖かさにほっとする季節になりました。

ここ生産組合から国道162号線を京北に向かって車で2〜3分で小野郷へ。

そして大森への分かれ道を入ると道が細くなってきます。少しすると綺麗に刈り込まれた生垣とその中に聳える木々が見えてきます。

 

 生垣に近づいて見ると、もみじ・ひいらぎ・サカキなど幾種もの樹木で構成されていて、また違った趣きがあります。

 生垣にそって歩き、正面に回ってみると…

 大きな大きな銀杏の木に囲まれてひっそりと鳥居さんが佇んでいました。

 

 岩戸落葉神社(いわとおちばじんじゃ)。イチョウが見ごろを迎えています。とても小さな可愛らしい黄金の葉っぱが石段を埋め尽くして、時折風がさらって行ってはまた積もります。

 

岩戸落葉神社は、岩戸社と落葉社の二社からなっています。

岩戸社は小野上ノ町の氏神で、御祭神は小野氏が大切にしたことで知られる瀬織津姫(せおりつひめ)はじめ女神の三神。
落葉社は、小野下ノ町の氏神です。祭神は古来、源氏物語に登場する、落葉の宮を祀るといわれています。

 

巨大な石を真ん中に左側が岩戸社、右側が落葉社です。
それでは恒例の狛犬ちゃんwacthing!

 

左側が阿・吽の「うん」

 

右側が「あ」。大きく口を開けています。そしてこのスタイル…尻尾を立ててお尻を突き上げていますよ!

 

チョット可愛い恥ずかしいこのスタイルは腰を上げて今にも飛びかかろうというポーズで形状分類では「出雲構え獅子」型(crouching style)と言うのだそうです。

 

社の裏側も岩盤が剥きだしになっています。「岩戸」という名称と何か関係あるのかも知れません。

落葉社は、落葉の宮の隠棲地に因んで創祀されたと伝えられていますが、源氏物語の「小野の山里」を当地としたのは、後世の伝承であって確証はないそうです。

その源氏物語の「落葉の宮」はどのような宮さまなのでしょう…

それではしばし源氏物語の世界へと入ってみましょう。

 

朱雀天皇の皇女、落葉の宮は、柏木右衛門督(うゑもんのかみ)に嫁ぎましたが、柏木は同宮に心を染めることが出来ず、その妹の女三の宮に恋慕していました。

柏木は女三の宮のことが忘れられず、自分は「落穂を拾った」と嘆いたことから自分の妻につけたニックネームが「落穂の宮」。柏木(呼び捨て!)なんて失礼なヤツなんでしょう…!!

 

しかし、柏木はほどなく身まかり、傷心の落葉の宮は母とともに「小野の山里」に隠棲します。柏木はこの世を去る前に、親友であった光源氏の子・夕霧に「落葉の宮のことを頼む」と言い残します。今生の別れ、間際に浮かんだのは深く情を重ねることが出来なかった妻だったとは。そして真面目な親友によろしくね、とお願いするとは…柏木、少しはいいところもあったやん♪

 

間もなく夕霧が訪ねてきて、落葉の宮と親しい仲になっていきます…

実は柏木にはもっとけしからんことがあったり、それに纏わる出来事etc…このくだりは源氏物語 五十四帖の中で第三十六帖「柏木」から第三十七帖「横笛」と続いていきます。

因みにその次の第三十八帖「鈴虫」が現行二千円札の裏に印刷されている絵巻です。

興味のある方は源氏物語に触れてみてはいかがでしょうか?

 

 

天に向かって真っすぐに、そして大きく枝を広げている銀杏の木。

傷心を抱えゆかしい暮らしをおくる落葉の宮を見守ってきたの?…そっと幹に耳をあててみても静寂が聴こえてくるだけ。

黄金に舞う小さな扇を愛でながら夕霧のほのかな思慕に思いを馳せるのでした。

 

 

お知らせです♪

平成23年11月20日(日)、岩戸落葉神社のイチョウ祭りとライトアップが開催されます。

※午後1時より

【軽食コーナー】

コーヒー、やきいも、鯖寿司、草餅など茶店

【バザーコーナー】

小野郷で収穫された米や野菜、自家製漬物などの特産品、使用されていない贈答品などの即売

 

※午後5時~8時 ライトアップ

※午後6時~7時 奉納演芸会(和太鼓、合唱など)

日曜日にはこの写真よりもっともっと美しいイチョウが見られるはずです。

ここだけの話…午後5時から先着200名様、おぜんざいが無料でいただけます^^

そうだ!黄金に染まった岩戸落葉神社へ行こう…!

落葉の宮と夕霧がにっこり微笑んで迎えてくれるかも知れません。。

中川・秋の風物詩を探して(2) 

2011.10.28  北山杉の里 見どころ 

10月もまもなく終わろうとしています。陽が落ちるとサッと冷たい空気が身体を包み込み、思わずぶるっと身震い…そろそろ炬燵が恋しくなってきました。

宗蓮寺の紅葉はまだほんの少ししか色づいてはいませんが、もう一つの見どころを迎えています。

参道に入るとすぐに目に入るピンク色…

山門へと続く道沿いに咲く可憐な花。秋明菊(しゅうめいぎく)が最盛期を迎えています。

 

秋明菊は「菊」という名前がついていますが、菊の仲間ではなくアネモネの仲間です。

植物学ではキンポウゲ科。古くは中国から伝わり秋牡丹とも呼ばれていました。また、貴船に多く自生したことから貴船菊とも言われています。

背が高くなり、茎は長くその先に花をつけ風に揺れる姿がとても嫋やかです。

 

山門をくぐり見渡せばあちらこちらに群生する鮮やかな色。

ミツバチが夢中で蜜を吸っています。カメラが近づいても、知らん顔。

 

お寺の中の小さな流れの周りにもトクサやシダ類など、色々な植物が見えます。 整然としすぎず、自然のままの姿にかえって風情を感じます。

とっても可愛いお顔のお地蔵さん。

 こちらは面白いお顔の???

 

 秋明菊だけでなく赤い実や黄色い花、色とりどりで華やかな雰囲気です。

 

これは「ツワブキ」。フキの仲間ですが、葉がつやつやとしていることから艶のあるフキ→ツワブキとなったようです。園芸植物として日本庭園の石組みや木の根元に植えることから石蕗(イシブキ)とも言われています。

 

そして小さな赤い実と少しギザギザした葉っぱが特徴の「センリョウ」。マンリョウと共にお正月の縁起物として良く知られていますね。

 

お寺のまわりにもたくさんの花々が秋の日差しを浴びて元気いっぱいに咲いていました。 

これも秋明菊。もともとはピンク色で、白色や一重咲きは新しい品種のようです。

空に向かって枝を伸ばしているのは「ムラサキシキブ」。6月に咲く花は撮影を逃してしまいましたが、美しい紫色の実をつけています。

果実が紫色なことから平安時代の「紫式部」の名がついていますが、もともとは「ムラサキシキミ」という名前だったそうです。

「シキミ」とは実がたくさん成るという意味。

 

ムラサキシキブの根元に目をやると、青々とした低木が白い、小さな花をたくさんつけています。

ころんとした花びらに溢れそうに鮮やかな黄色い雌しべは何となく椿に似ています。

これはお茶の花。

中川ではその昔お茶が栽培されていました。畑のまわりを囲うようにお茶が植えられ、販売や家庭用のお茶を育てていたのだそうです。その名残でしょうか、今でもところどころにお茶の木を見ることが出来ます。

中川のお茶は独特の味わいだったと聞きました。

こうして今なおひっそりと咲いている花を見ていると茶摘みや干したり蒸したりする光景が目に浮かんできて、中川のおじいちゃんやおばあちゃんと一緒にそのお茶を飲んでみたいなぁ…と思うのでした。

そして何となく椿の花に似ていると思ったのも納得。お茶はツバキ科の常緑樹だったのです。

もうお茶として新芽を摘まれることはなくなりましたが、年中緑をたたえツバキに似た可愛らしい花をつけてくれるお茶も確かな「中川・秋の風物詩」。

  

お寺をあとにして振り返れば、きれいに枝打ちされた北山杉の緑に、秋明菊の濃いピンクがよく映えます。

私たちは、花が季節を間違わずに咲いてくれることで「あぁこの花が咲いたら秋の収穫だな」とか「もうすぐ寒くなるな」とかを教えてもらえる、自然のカレンダーを持っていました。

けれど地球温暖化が囁かれる近年、動植物も絶滅の危機に晒されたり、先日のあけびのようにいつの間にかその姿を見なくなったり、あらぬ時期に花が咲いたり…と言う現実があります。

今年も、中川には秋の花が咲いてくれました。

秋明菊の花言葉は「忍耐」。

この花言葉のように、これからも厳しい環境の中で耐えて美しい花を咲かせて欲しい。

何故か北山丸太と重なり励みをもらったような気持ちになりました。

来年も、その次の年も…。いつまでもこの光景が見られるように願ってやみません。

 

 

中川・秋の風物詩を探して

2011.10.18  北山杉の里 見どころ 

こちら生産組合から望む北山杉の山々は一面のグリーン…小さな若い台杉タルキも、まるで散髪したての少年のように綺麗に枝打ちされて勢ぞろいしている姿が見えます。

そんな中、もみじの木も見上げると所どころうっすらと色づいて来ました。

朝夕冷え込んでくると北山が錦に染まるのも間近です。

 

先週から秋の植物を求めてカメラ片手に中川を歩いています。題して「中川・秋の風物詩を探して」。

緑と水が豊かなところならどこにでもあるかも知れない、長くここに住んでいる方々にとっては毎年見られる普通のこと…だったはず。

でも聞いてみると「昔はいっぱいあったのに今はほとんど見かけないなぁ…」

そんな植物を求めていくつか山道を歩いてみたのですが、ありません。

途方に暮れる私たちに「小学校にあるよ!」という朗報が飛び込んできました。

いそいそと中川小学校へ向かい案内されたそこにそれはありました。

 

うふふ。まだ解りませんよね^^では…

えっ…!?サツマイモが枝についている?! なるほど色は赤みを帯びた薄紫色ですが大きさは10cmくらいです。

これは「アケビ」。

アケビはその昔、山遊びする子ども達にとって絶好のおやつとして親しまれていました。実が膨らんできてもうそろそろ…と狙っている矢先に鳥たちに奪われて悔しい思いをしたり…ところが今ではほとんどその姿を見ることは出来ません。

それが、この中川小学校の裏手に二つだけ実をつけていたのでした。

明日にははじけてしまうだろう…いやいやカラスがつついてしまうよ…と教頭先生に脅され?不安を募らせながら3日間通ってみました。

 

あくる日…わぁ!はじけて少し中身が見えています。アケビについて少し調べてみました。

「アケビ」・・・アケビ科蔓性落葉低木の一種。学名はAkebia quinata。

雌雄異花で、蜜を出さないので受粉形態はよくわかっていません。

雌花が雄花に擬態して雄花の花粉を目当てに飛んでくる小型のハナバチ類を騙して受粉しているらしいです。虫たちを「だまして」と言うのが何かしたたかで面白いですが、それも種の保存ため。

受粉が成功すると雌蕊は果実をつけ、9月~10月にかけて熟して淡紫色を帯びます。

成熟した果実の果皮は心皮の合着線で裂開、甘い胎座(ゼリー状の果肉)とそこに埋もれた多数の黒い種が見えてくる…

ほうほう、文面どおり縦に裂けて中身が見えています。

この白い部分が「胎座(たいざ)」で黒いつぶつぶが種。

白くて甘い胎座を鳥や哺乳類(ヒトも^^)が食べて、種が散布され種は保存されて来たのです。

わかりやすい例ではピーマンの小さな種のまわりに付いている白いふわふわのもの、あれが胎座です。

中川のアケビは少なくなってしまいましたが、山形県では農家さんが栽培していたり東北地方でも新芽を山菜として利用しているのだそうです。

 

そしてアケビの蔓性の茎は「木通(もくつう)」という生薬として使われていました。

利尿作用、抗炎症作用があり漢方処方されます。

この他、強くしなやかな蔓はかごなどの工芸品となったり種は油の原料となるなどあますところなく利用されたそうです。

 

 いったい誰がこの不思議な植物にこのような素晴らしいパワーと用途を見出したのでしょう。

科学の発達した現代にアケビの成分を分析したところで自然の中での動植物の営みの前では何の意味もなさないという気持ちになります。

人も動物も季節の流れの中で、食べられるもの食べられないもの、病に効くもの、怪我を癒すものなど自然の理を学び植物の恩恵を受けてきました。そして植物もまた、動物たちによって種を保存できてきたのです。

いつの間にか自然界のバランスが崩れ、中川のアケビも少なくなってしまいました。

けれど、この小学校にひっそりと生った二つのアケビがどうかたくさんの種を残し、時が巡りめぐって、いつの日かたわわに実をつけてくれたら…

少し冷んやりした秋の空の下、子ども達が山を駆け回ってアケビの種を飛ばしている…そんな光景が目に浮かぶのでした。

アケビの英名はChocolate vine。直訳するとチョコレートの蔓。

蔓がチョコレート色だからなのか、はたまたチョコレートのように甘いからなのか… … 調べてみようと思います^^

270年の時を経て…

2011.9.8  北山杉の里 見どころ 

台風12号は長く日本列島にとどまり、猛威をふるい、各地に大きな被害をもたらしました。

いまだに孤立している方々もおられ、一刻も早い救助を願うばかりです。

ここ中川も大変な風雨に見舞われました。大きな被害はなかったようですが、皮を剥いて乾燥させていたタルキの色の仕上がりが…と嘆いている人もいます。

さて台風一過とはよく言ったもので、長雨が去った後はまるでハケでさっと撫でたような秋の空!!

 日中の日差しはまだまだきつく蝉の合唱も賑やかですが朝晩はグッと冷え込み、そろそろ中川の秋が足音を立ててやってきました。

 

今日は中川の伝統的な家屋をご紹介しましょう。

宗蓮寺に向かう途中、チラっと見えた何か…?両側に夏の草花が茂る道を行くとそこに見えたのは….

茅葺きのお家!! とても美しく整えられ、元気な生活感。近づくにつれ「家が呼吸している」のを感じます。

 

ここは中川で唯一の茅葺きの伝統家屋、Uさん邸。

築およそ270年というこの家は、現存する茅葺き家屋で人が生活しているという点でも極めて貴重で、大学の調査も受けています。

20年から30年に一度は葺き替えなければならないという茅葺き民家、維持も大変なのに住み続けるUさんから色々聞き出しちゃおうと思います!

 

 

これがお玄関。見えていませんが、屋根を支えるのにも北山丸太が使われています。

まず目についたものが・・・何か由緒ありそう・・・って言うか

チョットおどろおどろしい~~かも?犬神家の一族・・・!

名前は何と言うのかUさんも判らないみたいですけど、お札を入れておくもののようです。

破れた隙間からおそらく「愛宕」の文字が見えますね。

Uさん、触ったことがないとおっしゃるから、中のお札の年号を見て遡ってみると…100年くらいはそのままみたいです。

 

中川の伝統家屋には、それぞれの部屋に独特の呼び名があります。

入ってすぐが「シモンデ」。「下の出」から来ているそうです。そしてここは「ウッチャ」。

「うちわ」が語源であるように、家族が集う生活の中心となる部屋。。時にはお客さんを招いて真ん中に切られた囲炉裏を囲み会話がはずんでいたのが目に浮かびます。

奥には懐かしい「おくどさん」が見えますね。もう使われていませんがウッチャにどんと腰を据えている姿を見ると、長年家族の食事の要となったおくどさんへの愛着が感じられます。

 

ここは「ナカノマ」。昔は寝室だったようです。数えてみると4畳ですが、普通の4畳よりもかなり広くなっています。そしてこの奥にお座敷があります。

 

家のあちらこちらに昔のつくりが見られます。私たちは「シモンデ」でお話を伺いました。お部屋とお部屋を仕切るのに襖はありません。みな、木の引き戸です。

鉋(かんな)などない当時は「鑓鉋(やりかんな)」と言う道具で削ったそうです。斜めから見ると戸の表面がなだらかでなく、少しデコボコしているのがわかります。

外を遮るのに、雨戸はありますがガラス戸やサッシはありません。障子だけ。それでいいのです。

ここには古き良き時代の空気がそのまま流れています。

何故270年もの間、天変地異によって倒されることなく現存しているのでしょうか…それはこの萱葺きの家屋が風が吹けば風とともに漂い、地震が起これば共にゆらゆらと揺れるから、とUさんはおっしゃいます。

「ガチガチの建築ではなく、家自体が自然に身を任せている」  家は自然に身を任せ、家族はその家に身を委ねる…そんな生き方が今なお、ここ中川で息づいているのです。

 

心地よい風に虫の声。「涼し~~」思わず声に出すとUさん、「萱葺きの家は夏涼しくて、冬あたたかいって言うやろ?アハハ!そんな事あらへん、隙間だらけで冬は寒い寒い」…だそうです^^

…あ。じっくり見ると木がそって隙間があったり、歪みのために引き戸が重かったり。だって270年もの間、幾世代の家族を見守ってきたのだから少しくらいの不具合は大目に見てください。自然に身をまかせるんだから寒かったら着込みましょうよ。・・・とは言ってませんよ。。

 

去りがたいほどくつろがせて頂いた、最後のサプライズ!!

それは正面からは見えませんがお風呂の屋根に取り付けられたソーラーパネルです。

Uさんご自慢のすぐれもの、夏も冬も燃料いらずでお風呂をいただけるそうですよ。

現代の便利も少し取り入れながら太陽の恵みを暮らしに役立てているのですね。

 

 色んな方面からの取材や調査があるにも関わらず、Uさんご夫妻は伝統家屋を270年も守り伝えている、というような奢りはなく肩肘はらず本当に普通に、自然に暮らしておられるように見えました。

ふらっと立ち寄ってみたら…今日もUさんが表の長いすに腰をおろしてお庭を眺め、傍らで奥さまが何やら用事をされてる姿が見られるかも知れません。。

 

 

 

数寄屋造りの粋

2011.8.29  北山杉の里 見どころ 

ちょっとだけお宅拝見!! Kさんご夫妻に無理言って見せていただきました。

およそ30年前に改築されたこの家には数寄屋造りのお部屋や回廊があり、専門の大工さんが駆使された技術や粋があちらこちらに見られます。

語源の「数寄」は茶の湯や生け花など風流を好むこと、「数寄屋」とは「好みに任せて造った家」で茶室を意味し桂離宮や修学院離宮が有名です。

タルキの天井(大雨が降り込んでの染みにKさん嘆いておられます)、もちろん廊下は畳敷き。

 

面皮柱と磨丸太(長押)の見事な組み合わせ。ちなみに壁も聚楽などではなく、まるで模様のように見える左官屋さんの腕です。

 

欄間も洗練されています。シンプルですが、とても手の掛かった細工。ここにも数寄屋造り独特の、虚飾を嫌い内面を磨いて客をもてなすと言う茶人たちの精神が垣間見られます。

 

 

 

 

見よ!!これが天然出絞だ!! 歳月とともにいい色になっていますね。

写真はほんの一部です。北山杉をふんだんに使ったお部屋、建てたばかりのような木の香りが漂い座っているだけで落ち着くのです。Kさん、大切なお家を見せていただき有難うございました。

 

≪おまけ≫

Kさん「あれを見てごらん。」あ、周囲の家々の屋根の上に小さな屋根が。

 

これは「煙ぬき」と言って、昔はどのお家にも囲炉裏があり上昇する煙を外へ逃がすためのものだそうです。

現代の換気扇のようなものでしょうか。本当に昔の人は良く考えたものです。生活の知恵、建築の美。

まだまだ、中川の魅力は尽きません。 

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